久々の更新なので、めちゃくちゃ重要なことを書いていこうと思います。
恋愛の相談を受けていると、めちゃくちゃいるんですよね。まるで自分が悲劇のヒロインかのように振る舞ってしまう方が。
わかります。本人たちは失意のどん底なのでしょうし、実際気持ちとしては不幸のど真ん中にいる気分なのでしょう。
しかしですよ。
実際、私や周りの友達から見たら「全然恵まれてるじゃん」とか、「すごく愛されてるよ?」と思うことがあるわけです。
自分から見たときに感じている世界と、他人から見たときの世界にズレがあることはよくあることですが、これは実はこれって結構危険な状態のときが多いです。
たとえば、よくあるパターンとしてはホストに沼っている友達みたいな感じです。
本人曰く、ホストくんがNo.1にしてくれたら結婚してくれるって言ってたの!とノリノリのとき、まあ周りの人から見れば「見事に騙されてんなー…」と思うわけです。
あまりやりすぎると法に引っかかってしまうので、昔ほど聞くことは減りましたが、それでもまだまだホストに色仕掛け営業を仕掛けられてまんまと沼らされている女性は後を絶ちません。
ただ、これが別に悪いことだとは私は思いません。
大事なのは、本人の感じ方なわけです。
沼っている女性が実はすごくお金を持っていて、貢いでも全然生活が破綻しないとか。
貢ぐことが生き甲斐になっていて、生活や友達を大切にしながらもホストからも元気をもらっている。推し活のような関わり方なら全然良いと思ってます。
なぜか。本人の気持ちが前向きだからです。
この場合は、他人がとやかく言うことじゃないと思いますし、本人も思いっきりやったら良いんです。
楽しそうにしている姿を見れば、周りの人の意見も変わってくることがあります。
生活が破綻しているわけじゃないし、それが元気の源になっているなら精一杯楽しんだらいいんじゃないかな!って背中を押す気持ちも湧くかもしれませんよね。
必死になって推し活をしている姿を見ると、「あんなに熱くなれるものがあるなんて羨ましい」「毎日楽しそうだな、幸せそうだな」と感じる人は少なくないと思います。
しかし、明らかに身を削ってホストに貢ぐこと以外が苦しそうなら話は変わりますよね。
この場合は、自分の幸せが一体何なのかを、ちゃんと考え直した方が良いということになります。
果たされるはずのない約束のために風俗に勤めてボロボロになりながら貢いでいる姿を見て、たとえ本人がノリノリだったとしても「幸せそうだな」なんて思う人はいないわけですよ。
こんな感じで本人が見ている世界と、他人が見ている世界は違うことが多々あります。
そして、それは他人が見ている世界が間違っていることもあれば、自分自身の感じている世界が間違っているときもあるわけですね。
特に恋愛で多いのが、「なにを持って幸せとするのか」という部分です。
あなたは自分の恋愛において何を達成すれば幸せと思えますか?
こう聞かれたとき、とっさにどんな答えが出そうでしょうか?
多くの方は、何を達成できれば幸せと思えるのだろう?とそもそも答えが出せないと思います。
中には即答で答えられる人もいるかもしれませんが、その答えも実は自分が本当に幸せだと感じられるものかどうかはわからないですよね。
よくあるパターンとして、『結婚が達成できれば幸せ』と言う人がいますが、これもなかなか良くない答えです。
たしかに結婚した瞬間は幸せでしょう。
交際歴も2年を超えて、周りの友達も徐々に結婚する人が増えてきた。次こそは自分の番かな?そう期待していたのに記念日になっても、自分の誕生日になっても一向にプロポーズしてくれる気配がない。
もしかして、私と結婚する気はないのかな?そんなふうに不安になって、ついつい彼の前で鳴いてしまったときもあった。
そんな彼がホテルとディナーを予約してくれた記念日。彼のいつもと違う緊張した表情に思わず期待してしまう。
だけど食事中にプロポーズする気配もなくて、結局今年も期待するだけで終わってしまうのかなと思いながら部屋のドアを開けると…
装飾された部屋に108本のバラと「Can you marry me?」のバルーンが…
振り返ると彼がひざまずき、その手の中には綺麗な婚約指輪があって…
なんてことがあれば、それはもう幸せの絶頂と言っても良いでしょう。
しかし、そんな夢のようなプロポーズがあったとしても、結婚すれば日常ははじまり生活や子育てなどの現実的な問題もたくさん出てきます。
結婚が目標になってしまっている女性は多いですが、そういう女性ほど結婚してから苦労し、シンママになったりバツイチになったりしているわけです。
ということで、自分の幸せのカタチを見つけようと言っても、結構難しいわけです。
しかも気を付けないといけないのが、SNSの存在です。
SNSって使い方を間違えると、トコトン不幸へと突き落とされますからね。まじで甘く見ないほうが良いです。
SNSを禁止しただけで恋愛改善した人、めっちゃいますからね。
なんでSNSが恋愛の弊害になりやすいかと言うと、結局キラキラした架空の世界だからなんですよね。
サプライズで○○してもらったとか、プロポーズでこんなにも尽くしてもらったみたいな投稿を見れば、誰だって「私もこれくらいして欲しい」と思ってしまいます。
他の人と比較してしまうことで、自分は愛されてないって気分になってしまうんですよね。
現実はそんなことないんですよ。
彼からすれば、精一杯頑張って愛しているわけです。彼の中では100の力を使って愛しているわけです。
しかし、インフルエンサーが動画映えのために投稿したものによって、その努力がマイナスに感じてしまったりするわけです。
何度も言いますが、ちゃんと愛されてるんですよ。しかし、ハードルが上がりすぎているせいで愛されていることを感じられない体になってしまっているわけです。
SNSは基本的に良いとこしか切り取って見せないです。承認されたい気持ちで投稿している人が多いですから。
しかし、あまりにも毎日見ていると、まるでそれが日常や普通に感じてきてしまうことがあります。
SNSは愛情のセンサーを狂わせてしまうことがあるんですよね。
こればっかりは気を付けたほうが良いです。
というのも女性が幸せだと感じやすいと言われているのは、「日常的に細やかな愛情を感じられた時」だと言われているからです。
簡単に言えば、年1回世界旅行に連れて行ってくれるよりも、週に2~3回一緒にディナーを過ごせるほうが幸せを感じやすいってことです。
しかし、この愛されていると感じるセンサーが狂ってしまっている状態だと、愛されていると感じるハードルがどんどん高くなります。
つまり、彼が週2~3回ディナーに連れて行ってくれたとしても、何も感じない心になってしまうってことです。
そうなると愛されていると感じる機会はどんどん少なくなっていきます。
男性は1回の質に重きを置く性質を持っているので、それでも問題ないことが多いです。
しかし、先に説明したとおり女性は1回の質よりも量を重視します。
それなのに1回のハードルが高くなってしまえば、量を感じにくくなって、結果的に愛されている実感や幸福感も感じにくくなってしまうんですよね。
私は愛されてないんじゃないかとか、私はきっと不幸なんだと思ってしまう原因は、たいてい幸せのハードルが上がりすぎているという点にあります。
改めて言いますが、女性が幸せを感じる構造は、小さくても良いから「幸せだな」と思える量を増やしていくことです。
そのためには幸せを感じるハードルを下げていくことが大事です。
僕としては日本に生まれたこと自体が、ものすごく恵まれたことだと思うし、そこで不幸だなんて簡単に思ってしまうのってものすごく失礼だと思ってしまうんですよね。
だから、改めて自分に恵まれている部分が本当にないのかどうかを考えて欲しいなと思います。
また、愛されてないんじゃないかって思うのは、もちろんそう思わせてしまっている男性にも問題はあります。
しかし、彼が彼なりに愛しているのであれば、それをきちんと認めて受け止めてあげられないのは彼にも失礼だし、何より女性にとってももったいないなと思うんですよね。
彼が100点の尽くし方ができないのは、付き合いが深まっていく中でゼッタイに修正できますからね。
ということで、今回は幸せの構造について解説しました。
もちろん人権もないくらいひどい環境に身を置いていたら話は変わってくるので、常にそうとは言えないですが大人になってしまえば生き方は自分で決めていくことができます
幸せかどうかは環境もありますが、自分から見えているフィルターはそれ以上に大事です。このことを忘れないでくださいね。